林檎は木から落ちた

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学校は勉強を教えるための場所ではなかった!?学校の意義を考える

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どうも!あぽー🍎です!! 

学校って勉強する場所ってイメージが強いですよね?

でも、そのイメージができたのって実は近代に入ってからなんです。

 

今回の記事では、

  • 学校は勉強を教える場所ではなかった
  • これからの学校の姿

について解説します。

 

 

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学校は勉強を教えるための場所ではなかった!?

あなたは学校に対してどのような印象を持っていますか?

 

  • 先生が勉強を教えてくれる場所
  • みんなで一斉に授業を受ける場所
  • 4月になったらみんなで一斉に進級できる
  • 国社数理英が重要視されている

このような印象を持っている人が多いのではないでしょうか?

 

江戸時代の学校『寺子屋

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巌如春(いわお じょしゅん)の作 加賀藩儀式風俗図絵 『寺子屋』 (浮世絵、昭和8年製作、金沢大学付属図書館所蔵)

日本において学校が現在のようなシステムになったのは、1872(明治5)年の「学事奨励二関スル被仰出書」、いわゆる「学制発布」が出されてからです。

 

それまでの教育システムは、寺子屋「藩校」などが一般的でした。

 

寺子屋」や「藩校」は、お寺の住職や隠居した武士などが地域の子どもたちを集めて教育していた施設だと言われています。

 

上の絵が寺子屋を書いたものです。

このように、寺子屋では子どもたちが勉強をしており、江戸時代の学校のようなものでした。

 

しかし、実態は現代の学校とは少し違っていたようで、どちらかというと個別指導の『』に近かったようです。

 

先生が前に立って教えるというよりかは、子どもたちが各々の課題に取り組み、わからないところがあれば、先生に聞き行く。

 

そのようなシステムが取られていたとされています。

 

江戸時代の就学率は26.7%

江戸時代の就学率は26.7%とされています。

(参考:江戸時代の就学率を知りたい | レファレンス協同データベース

 

意外と低い!?

 

そうなんです。

江戸時代の就学率はあまり高くありません。

 

なぜかというと、一般的に『寺子屋』や『藩校』に通っていたのは、武士や有名な商家の子だったからです。

 

この時代百姓(農家)の割合が全体の85%でした。

 

実際、識字率もそんなに高くなかったとされています。
かな文字を読める人は多かったのかもしれませんが、今でいう新聞とかを読めるレベルではなかったようです。

(参考:江戸時代の不都合すぎる真実 ベスト10 – アゴラ

 

寺子屋や藩校で教えていたのは一般教養

実際、寺子屋や藩校で教えていたのは一般教養のようなものでした。

 

武士や商人として知っておかなければ恥ずかしい一般教養を教えていたのが当時の学校だったのです。

 

また、寺子屋に学年はなく、自分の学習進度に合わせて勉強をしていました。

学年制ではなく、等級制だったと言われています。

 

明治時代に現代のような学校システムに変化してからも、20年ほどはこの寺子屋システムを引き継ぎ、飛び級留年の制度がありました。

 

しかし、その後は現在の教育システムに移行しています。

 

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学歴社会の誕生

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現在の教育システムに移行した理由の一つとして、就学率の低留まりがありました。

 

明治時代初期の就学率は50%

 

当時、なんとかして国民の就学率をあげたかった政府は、学歴の高い人から要職につけるようにしました。

 

そうすると、みんな学校に通うようになりました。

 

しかし、出来上がったのは学歴を過度に重視する学歴社会です。

 

つまり、元々は『マナー』『一般常識』などを教えていた寺子屋が、学歴社会に移行するにつれて、『学業』を重視するようになったのです。

 

学校の『再』マナー教室化

最近、ネット上で多く上がっている声がこのような声です。

  • 学校で冠婚葬祭マナーを教えてほしい
  • 学校でお金の仕組みを教えてほしい
  • 学校はもっと社会で使えることを教えるべき

 

 私はこれを密かに『学校の『再』マナー教室化』と呼んでいます。

 

寺子屋』の役割が一般教養やマナーを教えるところだったという事実からです!

 

実はこれありなんじゃないかなって思っています。

 

学校では、社会常識・マナー・コミュニケーション能力・実際の作業などを行い、足りない教科学習に関しては、オンラインまたは塾を活用する。

 

そうすることで、教育資源をうまく活用することができるのではないかと思っています。

 

今、塾と学校は基本的に同じことを教えています。

 

これ意味ある!?

 

っていつも感じています。

 

学校の先生は、明治以降に作られた『学校の先生像』に縛られすぎていると思います。

 

これからはもっと柔軟に考えて、教育リソースの適切な活用を図っていく必要があるのではないでしょうか?

 

これからの学校教育にはそのような側面が求められていると感じています。

 

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まとめ

今回の記事では

  • 寺子屋は実は塾のようなものだった
  • 現在の学校制度の成立過程
  • 今後の学校への展望

について解説しました。

 

学校のあり方が、明治以前の形に逆行して行こうとしているというのは個人的にもびっくりしました。

 

学歴社会から脱却しようとしている現代において、学歴社会以前の学校の仕組みに戻るのもありなんじゃないかなって感じています。

 

あなたはどう考えますか?

よかったらコメントくださいね!

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

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